我が社は『製品を通じて客先のイノベーションに貢献します』
創業者の冨士川敏弘は大正13年(1924年)横浜市に生まれました。この年の1月東京市では乗合バス「円太郎バス」が初運行を開始しています。また、同年6月の新聞にはフランス機ブレーゲ19型飛行機が「パリ〜所沢間」を初飛行したと伝えています。幼い頃よりエンジニアになりたいとの夢を持っていた青年は戦時期の混乱の中、技術者としての道を歩み始めたものの悪質な設計ブローカーに騙され、妻の内職を頼りに生計を営むような辛酸の日々を送っていました。
転機となったのは油圧機器工業会 初代会長の三善幾久次氏との出会いでした。「自分で設計した製品を世に出したい」との希望を抱いていた青年に、氏は厳しくも暖かく助言してくれたのでした。「製品を開発し販売する迄になるには、試作・研究・資金力・販売力・宣伝力、そしてこれらを支える家庭の生活力が非常に重要となる。とかく技術者は良い製品さえ出来れば何とかなると云う無計画な自惚れで失敗する。」と喝破されたのです。氏の指導を胸に以後10年間のサラリーマン生活を経営の出来る技術者となる為の鍛錬の場と捉えて力を蓄え、昭和43年(1968年)に冨士エンジニアリング(株)の創立となったのです。
念願の独立を果たしたものの、油圧機器の取次ぎを行う一代理店であり独自製品の開発の目途も無く数年が経ちまし
た。そんなある日、御得意先様より「油を完全に遮断出来るバルブを作れないか」との問い合わせを受けました。「油を完全に遮断する」とは圧力を保持出来ると言うことであり、ポンプ油量を100%アクチュエータに送る事が出来る、内部リークを排した夢の油圧バルブです。「ゼロリークバルブの開発」が我が社の進むべき道標となった瞬間でした。進路が決まればそこへ到達する手段の選定です。ゼロリークとする為、ポペットピストン型、圧力バランス構造、シートはメタル方式と方針を決定。数年間の試行錯誤の末、昭和45年(1970年)ゼロリーク複合弁、製品名をリフトバルブとして特許取得に漕ぎ着けたのでした。ゼロリークのコンパクトな複合弁で完全な停止を確保。球状ポペット構造で、且つ圧力流体平衡構造であるため耐久性に富むと共に、自重降下動作がスムーズで静かな製品を実現したのでした。リフトバルブの研究過程で培った技術とアイデアは、後のシャットオフバルブ、落下防止弁、ニューロジックバルブの開発へと引き継がれ現在に至っております。
創業の精神とは客先のイノベーションに貢献するという事であり、未来に引き継ぐべき大切な使命と捉え社会貢献に邁進する決意ですので、今後とも宜しくお願い申し上げます。
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